【地方移住】大阪のデザイナーが岡山に引っ越して来た
自己紹介
初めまして、30代前半木っ端デザイナー「チボリお姉さん」です。
デザイナーといってもゲームの2Dグラフィッカーといったほうが近いでしょうか。
ガラケー・スマホゲームの隆盛と供に関西の小規模な開発会社で経験を積んできたので、ゲームの2Dグラフィック周り割と何でもやります。
得意分野はUIデザインでこれが一番経験があります。
後はADVの背景作画・アイテムアイコン・SDキャラ・立ち絵のアニメーター・特設サイトのウェブデザイン。こんなところでしょうか。
出身は岡山なのですが、大学が京都だったので18才から関西に出てきてうんn年。
まさか自分が岡山に戻る日が来るとは思っていませんでした。
本記事の内容
引っ越しのきっかけ
夫に岡山の企業から「うちで働かないか」と連絡が来たことです。
以前から夫はその企業の仕事内容を気に入っており、あそこで働けたらいいなぁと言っていたのです、がまさか向こうから連絡があるとは。
そんな出来事に端を発して紆余曲折ありながら岡山への移住を検討することになったのです。
予見された問題点
メリット
- 夫が好きな職場で働ける
- 子育てに関してある程度の支援が受けられる 30代に差し掛かり子供を考えたときにこのまま関西(両親の助けがない)で共働きを続けるのは難しい)
- 現行の職場を辞める言い訳がたつ 良い職場だったのだが、労働環境的に大変しんどかった
- 親の近くに住むことでなんとなく安心を与えられる この話し合いをしているときに母が倒れてだいぶ肝を冷やした
- 物価が安い
デメリット
- 岡山市の待機児童数はワースト2位である
- 岡山には私の希望する職種が(ほぼ)ない デザイナー?つまりDTPデザイナーかwebデザイナーだよね?っていう土地柄
- 人間関係が(ほぼ)岡山にない 習い事や友人関係すべてが関西にあったので、一からまた世界を広げていく気力を考えるとめまいがする
- 交通機関が貧弱である 加えて二人とも車に乗れない
- エンターテイメント関連の施設が(ほぼ)ない
移住して三か月実際
夫が好きな職場で働ける
→楽しそうに仕事をしているので何より。
子育てに関してある程度の支援が受けられる
→実際にはまだ子供がいないのでわからないが、そうなったときに助けてもらえるように振舞わねばなという感じ。
親子だって人間関係だから手伝ってもらうことばかり考えないで、何かできることがないか積極的になった方がいいなと。
まだまだ子供気分が抜けないけど。
また、親だって老いていくので支援にも限界があるだろう。
現行の職場を辞める言い訳がたつ
→労働環境がハードなので体調が悪いのかと思ったらそんなことはなく、ただ単に体調は引き継がれたままだった。
良い会社だったので、何の言い訳もなくやめづらかったのだが、デザイナーとしてほかの現場も見てみたいとは思っていたので、良い切欠にはなった。(タイミングとして30代前半は結構ギリギリだったかなと思うし…)
また、限定的にフリーランスのまねごとをしてみたが、営業周り契約周りが苦手なので、フリーランスにはあんまり向いてないという結論になった。
後は意外と孤独に弱かった。人に評価されたいがために仕事をしている側面があったので、毎日人と対峙しないといまいちモチベーションが上がらない。
親の近くに住むことで、なんとなく安心を与えられる。
→多少の安心感は与えられている気がする。交流が増えた。
しかしたまにしか合わないときよりはヘイトが加算されている気がする。
前述の通り気を使って交流して行きたい。
物価が安い
→安いか…!?大阪と比べて特に安い感じはしない。
家賃は実質4万くらい下がったが、大阪で条件のいいところに住んでいただけで相場自体はそんなに変わらない印象。
岡山市の待機児童数はワースト2位である
→特に追加で調べてないので実態はわかっていない。どうでもいいけどお役所のサイトわかりづらい。
私の希望する職種が(ほぼ)ない
→奇跡的に希望する職がみつかりデザイナー職をつづけることができそう。
ただし本当に職がないので、(今から考えるのもどうかと思うが)辞めた時のことを考えていないとヤバい。
人間関係が(ほぼ)岡山にない
→かつての人脈をたどり人付き合いを増やそうとは思っているものの、うまくいかず関西に遊びに出てしまう。大変孤独である。
安く大阪に移動して宿泊する術が磨かれるばかりである。
近いうちに何かサークルに参加したい。
交通機関が貧弱である
→引きこもりが功を奏して何とかなっている。
岡山市内は平地なので基本自転車があればなんとか移動できるというのと、
住んでいる場所が主要な施設からそんなに離れていないので徒歩+自転車+電車でなんとかなっている。
ただ大きなものを運ぶ(不用品の処分、猫を病院に連れて行く)のは無理なので、実家にヘルプを頼んだりタクシーを活用する事になった。
なお最寄駅は1時間一本しか電車が通っていないので、乗り逃すと痛い。
エンターテイメント関連の施設が(ほぼ)ない
→まあない。イオンに行くしかない。(逆に選択肢や出費が少なくていいのかも?)
がこれも大阪に出たりが不可能ではないので何とかなっている。
まとめ
思ったより何とか過ごすことができています。
岡山で思うような仕事が見つかったのが大きかったですね。自分の人生の中で仕事が大きなウェイトを占めていたので、それを失うのが本当に怖かった。
見つからなければ恐らくもっと暗い顔をして日々を過ごしていたでしょう。
後は自分が岡山を出た頃より岡山が発展していたことも大きいです。
電車は1時間に一本だけど、22時には歩行者用の信号が停止してるけど、歩道に全然街灯が無くて側溝に蓋が無くて落ちそうだけどそれでも
駅前に行けばオシャレな店(イオンだけど)があって、自分の経験を活かせる会社があって、技能を伸ばすべく勉強会を催している人たちがいるという事が分かりました。
当初は岡山に戻る事に乗り気と言うわけではありませんでしたが、折角岡山に住んでいるのだから、もっと好きなところを見つけて楽しんで行きたいなと思っています。
これが一番大事なんですけど、夫が地元に帰れて、したい仕事をして毎日楽しそうにしているのがうれしいです。
夫の事を尊敬してるので、その進路を阻害したく無かったと言うのが岡山に帰った1番の理由だったので。
と、言葉にしてしまうと主体性のない女のようで嫌なんですけど笑
仕事が始まったら、子供ができたらまた変わるのかも知れないけれど、
今現在としては可もなく不可もなく無事に移住できたなとそんな感じです。